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May 31, 2004

クイズ!「これは桜の木?河野兵部)

■クイズ!■これは何の木?  答えは本文下のコメントで。almendro.jpg

←スペイン人にとっての“桜”はアーモンド
スペインに春を告げるのは、アーモンドの花だ。

南スペインでは1月末から2月、マドリード周辺では、3月中旬に咲き乱れる。丁度桜と梅を合わせたような淡いピンクの花びらで、満開のときは、日本のお花見の時期のような光景になる。

何年か前に日本でスペイン料理フェアがあり、参加者のシェフの一人が国際電話でインタビューしていたのを、たまたまカーラジオで聞いたのだが、彼が興奮しながら、日本のお花見の光景を説明していた。「日本人というのは、実に面白い人種だ。今公園に行ったら、満開のアーモンドの木の下で大勢集まって酒盛りをして歌ったり踊ったりしているよ。」
我々が、アーモンドの花を桜に似ていると思うと反対に、彼らには桜の花は故郷のアーモンドを思い起こすのだ。

勿論、スペインでも、カセレス周辺では、果樹としてのサクランボの花が咲くのだが、花より団子で花にあまり興味は示さない。精々マドリード在住の日本人家族が日系旅行社の企画する「お花見ツアー」に参加する程度だ。

<参考>グリコ アーモンドのお話 http://www.ezaki-glico.com/almond/index.html

ringo.jpg
アーモンドの後は・・・→

アーモンドが散るとボツボツ若草が生えてきて、杏の花やモモの花、早咲きの豆桜(気候がこちらに合うらしく、スペインの庭園や街路樹に多く見られる)が咲き、地面では水仙がいっせいに咲き始める。

4月になると、道路脇やロータリーに植えられた、チューリップが目を楽しませ、畑では前述のサクランボの桜の咲き乱れ、そのあとを林檎の可憐な白い花が引き継ぐ。


真っ赤なお花畑↓

スペインの光景でなんと行っても劇的なのは、アマポーラ(けしの花)だろう。丁度、今ごろ中部のマンチャ地方では、小麦を刈り取った後に辺り一面見渡す限りを真っ赤に染める。これは別に栽培しているわけではないのだが、日当たりのよい耕したばかりの土によく合うらしい。蓮華と同じように、畑の肥料になるという説を聞いたことがあるが、道路工事を仕立ての掘り起こした土にも群生しているのを見ると、特に栽培しているようには思えない。
amapola1.jpg

girasol.jpg←同じ時期にはひまわりも

同じ時期にさらに南に下り、コルドバやセビリア周辺に行くと広大なひまわり畑で黄色く染まる。これは中級の食用油用として栽培されているものだ。それが過ぎると秋までは、雨も降らず強い日差しで枯草ばかりの光景になる。

四季のはっきりした日本から来ると、光と影の国で夏と冬しかなさそうだが、この時期に北から南に旅行すると回り灯篭をみるかのように花の移り変わりがたのしめる。

May 26, 2004

オリーブで花粉症(河野兵部)

encina.jpg寒さが和らいだとたんに、青葉が一斉に吹き出し、新緑が爽やかな季節ではあるが、また色々の花粉が飛び回り、いつも悩まされるのが花粉症だ。今春は寒かったせいか、例年よりも遅い感じだ。

一口に花粉症と言っても、アレルゲンは色々あって、また個人差も大きいらしい。地方別には南スペインはオリーブの影響が強く、中部地帯は、雑草(木が少ないせいだろう)北へ行くと杉やポプラ、松、樫等、多種にわたるらしい。

olive.jpgわたしは、花粉症なるものがどんなものなのかさえ知らなかったのだが、7年ほど前に突然激しい連続したくしゃみが起こり、鼻水や涙がとどめもなく流れ出し苦しい思いをした。
専門医にいろいろの検査をしてもらい処方してもらったのだが、そのときは殆ど効果なく、別に熱があるだけでもなく見た目には血色も良く、寝ていたって直らないから、他人には病人として同情もしてもらえないのは、まったく始末が悪い。無理して人前に出ても、「クション、クション」ばかりしていては、これもまた仕事にならない。

pino.jpg医者には「これは、体質からくる一種のアレルギーだから、アレルゲンに触れないように心掛ける以外は、生涯なおらないよ」と宣告され、途方にくれたのだが、あるとき南スペインへ行ったとたんに、ぱったりと嘘のように症状がでなくなった。花粉症には転地療法が効果的のようだ。それから毎年この時期には、旅行するようにしている。

May 24, 2004

バルのムール貝屋(河野兵部)

mejillon4.jpg
マドリードの夜の過ごし方で楽しいのは、やはり、バル街にくりだしはしごすることだろう。

バルと言うのは、Barと書き、英語読みしたらバーなのだけど、スペインのバーには、きれいなおね〜さんなどおらず、カウンター内にいるのは、大抵むつけきオヤジだけで、朝は朝食用にコーヒーをだし、昼夜は、ビールやワインを出す1杯飲み屋だ。
住民の憩い、交流の場所で、その地区のことなら大抵そこで聞けばわかるから、よそ者にとっては情報を仕入れるのには便利な場所でもある。
ホテルもないような小さな村で「どこか泊まるところがないか」と相談したりすると、客が寄ってきて「ホセのところで部屋が空いてるよ」とか、誰かどうか教えてくれてて助かることが良くある。

マドリードのような大都会だと中心地には各店得意のタパスと呼ばれる小料理を出す専門店がずらっと並んでいる地区がある。
余談だが、伝統的には、水商売は男性の職場で、女性が水商売と言うとかなりいかがわし場所を想像してしまう。それでも最近はアメリカ系のファースト・フードの影響や職業の男女平等政策のためか、このような場所でもウエイトレスを普通に見かけるようになってきた。

いつも友達と連れあって行く場所は、ほぼコースも順番も決まっていて、まず最初にいくのは、ムール貝屋だ。
mejillon1.jpg店中に1歩入ると、ムール貝の殻を数珠つなきにしたものをすだれ上に壁にぶら下げた装飾と、カウンターの足元に山盛りに捨てられた貝殻が目に付く。現在は細長いステンレスの容器が流し状にカウンターに沿って付けてあり、食べカスの殻を捨てるのだが、これも以前は直接床に捨てていたものだ。

バルでは、食べカス、爪楊枝、紙ナップキンから、タバコの吸殻まで床に捨てるのが習慣で、初めての客はこのごみの量をみて、盛っている店かどうかを判断して入ることになっているので、どの店もこれを閉店まで片付けようとしない。

mejillon8.jpg勿論今は床に捨てるのは、衛生法で禁じられ店に対しても屑入れを用意するように義務付けているのだが、昔から繁盛している店の客は、屑入れを無視して、相変わらず床に捨てている。
知らない初めての店に入るときには、床がきれいなところは、高いか美味しくない可能性が高いから、避けたほうが無難だろう。

この店はムール貝専門店だけあって、レモン味、辛口ソース味、アリオリ・マヨネーズ味、ビネガー味と数種類あるので、お好みのものを注文できるが、わたしはいつも辛口ソース味をとる。大体、わたしは、この店を知るまでは、ムール貝を好きではなかったのだが、この味で見直したこともあって、相変わらず、この店のこの辛口ソース以外はムール貝を注文することはしない。

また、これを食べるときに欠かせられないのが、ガリシア・ワインのりベイロだ。これは、日本の杯状の白い陶器の器で飲み、発酵を止めていないので、若干気泡がでていて爽やかで、海鮮料理にとても合うワインだ。

ここではムール貝だけで1杯引っ掛け、さあ、これからマドリードの夜をさまよい歩こう。

May 15, 2004

フェリぺ王子の結婚式(河野兵部)

palacio1a.jpg今年の5月22日は、マドリードにとっても、スペインにとっても歴史に残る日となる。と言うのも、王家を継ぐフェリぺ王子の婚姻の日だからだ。

彼は現在36歳。気さくな性格とハンサムさでヨーロッパ中のお姫様から人気があったようだが、いざ結婚となるとなかなか決まらず、寧ろ、大富豪の令嬢やトップモデルなどの民間女性のとの恋愛の噂が囁かれていた。それが、昨年、突然、ジャーナリストのレテイシア・オルテイスと婚約を発表してスペイン中を驚かせた。

彼女は、スペイン国営放送局RTEの人気のニュース・キャスターとして既に茶の間に親しく知られていた女性で、その知的で清楚でな美しさとハリウッド女優のような華やかさで脚光を浴び、昨年のイラク戦争中は、特派員として現場に飛ぶ程の積極的な活動で注目されていた。

私的には、マドリードの教師との結婚歴があり、3年前に離婚しているのだが、このような事には、特に口煩いローマ教会も、現在、カトリック教会の最も積極的な協力者であるスペイン王家に対して特別扱いした感じで、迷わず「民法上の結婚は神の前には無効で結婚していたことにならない」とゴー・サインを出している。

王制廃止を主張する左翼や地方民族主義者にも、このニュースは、好感を持って暖かく受け取られているようだ。巷では、世紀の挙式ブームにかこつけて既に婚礼関連グッズの専門店が現れて、祝福ムードも高まっている。

挙式は、王宮正面にあるマドリードのカテドラルのアルムデーナ教会で行われる予定で、この日は日本の皇室を含め世界中のVIPが参列することになっており、昨年から各方面での準備が急ピッチで進められているが、王宮での披露宴のシェッフには、近年日本でも知られている”エル・ブジ”レストランのフェラン・アドリアが任命されされたそうだ。

Yahoo!ニュースより
http://es.news.yahoo.com/ph/casareal/index.html

May 14, 2004

5月40日までは上着を脱ぐな!(河野兵部)

may2a.jpg5月は、日本からの旅行者が1年でもっとも集中する月だが、この時期には何を着ていったら良いのか誰もが悩むのだろう。天候に関する質問が多い。

「街の人たちは一体何を着ているか」と、興味を感じて、町に繰り出し、改めて観察してみると、この時期は、これがまた千差万別なのである。

タンクトップにショートパンツやミニスカートで真夏同然の格好で闊歩している若い女性がいると思うと、刈り取り前の羊のようにまるまると厚いオーバーコートにつつまれた中年のばあさんもいる。足元はと見ると素足にサンダル履きがいると思えば、ブーツもいる。きっと写真をとって見せても服装だけでは、一体、夏のショットなのか冬なのかの区別もつかないに違いない。

マドリードは高地だし、内陸だから、1日の温度差が大きく、季節によっても、夏は街角の温度計が40度以上を指すかと思うと、冬場は、零下5〜6度に下がることもあるからなのだろう。

日本人は5月が終わると几帳面に一斉に上着を脱ぎ、10月になるとまた着ると言う「衣替え」をするが、スペインの人たちは、、単純に自分が暑ければ脱ぎ、寒ければ着るのだ。他の人が何を着ていようが関係ない。単に温度調整だけでなく、おしゃれそのものも、周りの人達の着ているものに合わせるのでなくて、自分自身の体調、感受性で気候風土に合わせるものなのだろう。

そう考えてみると、マドリードの人達は別にブランドに身を固めることはないがおしゃれだ。

may3a.jpg勿論、「衣替え」はするけれども、暦を見てきめるのでなく、極端な気候変化に合わせて、老いも若きも、日中は夏、朝夕は冬支度と、1日の間にもまめに”衣替え”していると言える。
まあ、シエスタ(長い昼休み)に、いったん自宅に帰る人がまだ多いから、午後の出勤には、別のものに着替えられることもあるのだろう。

”5月40日までは上着を脱ぐな!”

これは、気候の切れ目と、5月40日(6月初め)までは気候の変化が激しいことを例えて、スペイン人が良く使う言い回しだが、マドリード以南では、この後、3ヶ月間は、ほぼ1滴の雨も降らず連日強い日差しがじりじりと差す乾期になり、道端の雑草も枯れ、砂漠同然の景色になってしまう。

日本の夏は一面緑に包まれるイメージがあるが、緑が見られるのは、春先と日差しが弱くなり雨が振り始める秋の短い期間だけで、中部以南のスペインの夏と冬は同じ枯草ばかりなのだ。

May 11, 2004

スペイン版・二宮金次郎の日(河野兵部)

Isidro_labrador.jpg5月15日は、マドリードの守護聖人サン・イシドロ”農夫”の日だ。

彼は、12世紀頃の生涯貧しい農夫で、毎日の激しい労働の中にも祈りを忘れず、自らが貧しいにもかかわらず、労働で得たわずかな収入をも恵まれないものに分かち与えたと言う。質実剛健、労働賛美の面ではスペイン版の二宮金次郎だろう。

彼が死んだ後40年後に棺おけを開けたら、屍が腐敗することなく残っていたと言うことから神話が始り、17世紀には、フェリペ3世の瀕死の難病をなおすと言う奇跡を起こしたことから、ローマ法王認定の聖人となったそうだ。

彼の奥さんは、サンタ・マリア・デ・ラ・カベサと言う聖女だが、この名前が、スペイン人にさえ、奇異な感じを与えるらしい。と言うのも、カベサというのは、”頭”の意味だからだ。

初めてこの名前を聞いたときは,”頭でっかちの聖女”かと可笑しさを堪えながら、色々想像したものだが、彼女の死後、聖遺体が頭の部分だけ切り取られ、トレラグーナというところの小さな教会に奉ぜられ、彼女が”雨乞い”にご利益があるとされていたので、その儀式のときに、この頭を聖遺体として神輿行列に運び出し、尊ばれたことから、この名前がついたのだそうだ。聖遺体に付いては、色々の面白い話があるが、長くなるので別の機会にしよう。

サン・イシドロ祭は、15日がメインだが、実はこのお祭り関連のイベントは半月以上続く。

toro1a.jpg中でも、闘牛は最も重要なものだ。この期間中にマドリードのベンタス闘牛場に出場できると言うことは闘牛士にとっても、出場する牛の牧場にとっても、最も名誉なことで世界中の一流の闘牛士と選り抜きの牛があつめられる。
(闘牛が行われるは、スペインだけではなく、隣のポルトガルや中南米諸国でも盛んだ)
「宗教的な行事に、こんな残酷なことを!」と、驚く人がいるかもしれないが、これだけの歴史とファンがあるのだから、当然それなりの理由があり、一概に「残酷」と言う言葉では、片付けられない。

わたしも、動物好きなので、最後に血みどろになって苦しむ様を見ていると、余り気持ちの良いものではないが、牛がこの聖人の労苦を分かち合った生涯の農作業の友であったように、闘牛の牛も闘牛士と生死を共にして、寧ろ、キリストの磔け、荊、鞭打ち等の受難同様、この儀式でうける肉体的苦痛を克服することによって、永遠の生命と至福を享受できる天国に召される幸運を得るための陣痛と言うことなのだろう。

因みに、日本語の”闘牛”と言う言葉は、英語の”Bull fight"の訳から来ていると思われるが、スペイン語の”闘牛”を指す言葉"corrida detoros"には、”闘う”と言う意味はどこにも見当たらない無い。

May 10, 2004

典型的な日本人はとてもモテル?(河野兵部)

guapa8_2.jpgマドリードに来て最初に感じるのは、抜けるように青い空と、右を見ても左を見ても、整った顔立ち、大きな目、スラッと伸びた足、くりっと上がったヒップとこの世の創造物とは、とても思えない目もさめるような美人が目立つことだろう。女性ばかりでなく男性もそうだ。

日本にいるときは、ヨーロッパの白人女性すべてに彫刻のような美しさを感じ、憧れていたのだが、北ヨーロッパの飛行機な乗ろうものなら、美人集団のはずのスチュワーデスでさえ、女子プロレスの選手になったほうが稼げそうな立派な体格のお嬢さん(?)方ばかりで、まず、その迫力に圧倒されて小さく成ってしまう。
その点、スペイン女性は背丈も左程高くなくないし、何となくほっとして、「これは素晴らしい国に来た」と喜んだものだ。

一体何がどうして美しく見えるのか、細かく観察してみると、まず頭の大きさが体全体の比率として、日本人よりも小さ目で、所謂8頭身。形は卵型、日本でも、「卵に目鼻」という表現があるが、まさにそれ。
前から見たら、日本人とそんなに違いはないかもしれないが、横から見ると随分違うのが分かる。まず、額は、広めでおでこで、その下から大きく差をつけられるが、極端に奥目、つまり眉から下がくぼんでいて自然に陰影がつくから、シャドーを付ける必要もなく経済的だ

これでは目が一重でも2重に見えるし、小さくてもくぼんでいる部分全部が目玉と錯覚を起こすから、異常に大きく見えたりする。だから舞台化粧で、このくぼみ全体にシャドーなど付けたりすると、顔よりも目の方が大きく見えたりするから得だ。

鼻も左程高くない人だって、周りが陥没しているので段差が激しく結局高く見えるにすぎない。鼻が高いのではなく周りが低いのだ。また、睫毛も、瞬きすると、ふ〜と風が来そうなほど長いが、それも良く見ると睫毛の生え際が外側に飛び出しているので、その分長く見えるだけだ。

首から下は、日本人は洗濯板のように厚みがないのだが、スペイン人の体は、痩せている人でも丸太状で厚みが有るから、バストがぺっチャンコでも、その分出っぱって見える。だが、腹部は、悲惨だ。素晴らしくすらっとした女性でも、20代後半になると急激に横に成長を始めるらしい。臍だしルックが好きなようだが、これは、その部分を覆うと窮屈だからかも知れない。

ヒップは、まさに芸術作品に近いが、太股部分は結構逞しい。すねは長く、膝部分が曲がっておらず丸太棒なので、竹馬にズボンをはかせたみたいで、ジーンズは、実に良く似合う。

これが、一般的なスペイン人の外観なのだが、鏡に自らの姿を写し、彼女らと比べて、神様の不公平さを呪い自らの不幸を、さめざめと嘆くのは、まだ早い。
まず、テレビを付けてみれば良い。人気タレント、女優などは、そろって、上記の条件が当てはまらないことに驚くに違いない。


guapa8_1.jpg先月、行われたミス・スペイン・コンテストでも、並み居る美女の中からめでたく選ばれた女性は、日本に行けばいくらでもいそうな東洋的な親しみのある顔立ちをしていて、「おいおい、近所のおねーさんの方が、余程美人だ」とつい思ったりする。

これは、誰もがないものねだりをするからだと思うし、その恩恵をうけて、日本人はとてももてる。まず第1に、切れ長の目はなんとも神秘的に見えるらしい。

第2に、鼻がぺっちゃんこで、どこにあるのかわからないほど小さいのは、とても愛くるしいのだ。実際、スペインでは、魔法使いのお婆さんのように鼻が高すぎて削る整形が多いらしい。その削りかすを、リサイクルできるかどうかは知らない。

第3に、足が短く太いのは、しっかり地面に生えついているようで、安定感が有って安心するらしい。

典型的な日本人タイプで”外人ばなれ”している貴方!どうしても魅力がわかってもらえないなら、是非、スペインへ!

May 06, 2004

人質記者会見はマドリードでどう報道されたか(河野兵部)

連休の初めにasahi.comで、人質と成った今井、郡山両氏の記者会見の模様が、ビデオも含め、関連ニュースとともに一面に特集されていたが、その時の今井氏の供述にはおどろかされた。それはあの人質の一人が、頭を後ろに引き倒され、刀を首に当て今にも首を切り落されそうにして、隣の高遠氏は、恐怖で顔を両手で隠し泣き叫んでいた(?)場面が、演技だったというのだ。

 その背筋も凍るビデオ画像は、4月某日、スペインのお茶の間のテレビに、どのチャネルでも繰り返し報道され、翌日の新聞でもトップにその写真が載り、スペイン全国に衝撃を与えたのだが、アラブ諸国で虐殺事件が起こると必ず斬首を行うことを聞いていたので、その場面には一際戦慄が走った。そのときとっさに、
「このような画像を日本のマスコミは、どのような報道の仕方をするだろう」
と思い、早速、日本のネット・ニュースにアクセスしてみたが、驚いたことに、3人が単に兵士の前に座っているだけの当たり障りない場面だけで、唯一asahi.comだけが「刀物を首に当て脅している画像もあるらしい。」
と匂わしているだけであった。

その後、公表されたかどうかは、知らない。

こちらでは、あれだけ大々的に報道されたのだから、世界中に特派員を置く日本のマスコミが知らないわけはなく、明らかにどこからか報道統制が入り、各社が協定したのだろう。確かにあのようなショッキングな場面は、家族には耐えられないだろうし、犯人の要求を無料スポット広告してやる必要はないのだが、報道とは一体なんだろうと改めて思った。
数日後、asahi.comを覗いたら、人質の一人の高遠氏はホームページを持っていて、創立以来5年間で5万アクセスほどだったものが、事件以来一挙に一日50万アクセスに増え、掲示板には同情激励よりも非難中傷内容のものが圧倒的に多く、管理を代行していた人が一時閉鎖を決めたとのニュースがあった、ネットは、顔も名前も知られずに一方的な集団暴力に加わる強力な手段に成り得る。

3人の行動の是非はともかく、彼らの安否を気遣うよりもこのような集団リンチ行為を行う社会も恐ろしい。この写真が、もし、公開されたら、彼らに対する風当たりも若干違がっていたかもしれない。

ご承知のようにマドリードも、悲惨なテロ事件が起こったが、その論理でいけば、「スペインも出兵し、いつどこでもテロに遭う恐れがあるのだから、通勤電車に乗っていた被害者が悪い」と言うことになってしまう。
もし、あの電車に乗っていたら、そんな”危険な国”にすむ私も非難されたのだろうか?実際、某国の大使館からのテロ対策マニュアルには、「テロ目標とされる人ごみの場所には、近づかないようにする」という項目がある。

今井氏が、「彼らに強制されて演技した」ような事を会見で述べていたが、今度は、日本社会と言う”過激派”に脅迫されて、世間の風当たりをさけるために演技しているようにも思えてくる。外から眺めると彼らは、開放された後に別のグループに誘拐されているかのように見える。

同じように誘拐され開放されたイギリス人ジャーナリストの開放第1声のように「昨日のサッカーの試合は誰が勝ったの?」だったら日本の社会はどのように反応しただろうか。

テロの数日後のスペインの総選挙では、選挙前の調査で圧倒的勝利を予想されていた与党民衆党が敗れ、イラク出兵に反対していた野党が多数を占め、政権が交代した。テロリストの目的が達成されてしまったのだ。あの悲惨な現場の報道は、結果的にはテロリストの宣伝効果抜群だったわけだ。

テレビのおかげで、世界中の出来事が瞬時に世界中の茶の間で見れるようになって、本当に良くなったのであろうか。イラクだけでなく世界中のあちこちの片隅で戦争が行われ、惨殺が行われ、飢餓で死ぬ子供達は無数にいても、ニュースとなるのは視聴率を上げる場所でしかないのに、それによって世論が変わり政権まで変わるのは恐ろしいことだ。

ニュースは、興味のあることでなければ誰も読んでくれないから、部分的に目立ったテーマを拾うのは止む得ないだろうが、こちらの報道のように、何々記者の記事とサイン入りの方が、商業広告のように、最初からその前提で評価するから、なまじ校正中立を建前とするよりも、誤解されないで良いだろう。漠然とした”世論”と言うのは、責任を持たない群集心理にすぎないし、狂気の集団に変わらないことを祈るのみだ。

「水を治める者は、国を治める」と言う中国の故事があるが、現代社会は世論を治めるものは、国を治めるのだ。政治家だけでなく、テロリストでも世を治めれる世の中になってきている。
これからは、ネットの世界が待っている。現在のテレビのように、誰もがパソコンを使うようになったら、テロリスト数人で全人類を破壊できる核爆弾のように、ネットは、家庭のパソコンひとつで、人類を滅亡させることが出来る”多量破壊兵器”に成りかねない。

犬にも人気!ベッカム様(河野兵部)

tvbeckham.jpg我が家の愛犬アリス嬢は、サッカー好きだ。
それまで寝ていても、試合が始めると、いきなりむくっと置きあがり、じっと画面を眺める。ゴールがはいって、アナウンサーが「ご、ご、ご、ご、ご〜る、ご〜お〜る!」と絶叫などすると大変だ。一緒になって「わ、わ、わ、わ〜んわ〜ん」とほえたりする。

散歩に連れて行けば行くで、近所の子供達がサッカー・ボールを蹴っていると、自分も仲間に入りたいかのように、「わんわん」言いながら鎖をひっぱるので、そんな時は近づく前に鎖を持ちなおして足も踏ん張りながら歩く。なにせ体重が60kgもあるから、油断するとひきずり倒せられてしまうからだ。
それがベッカムが来てからは、テレビを見る目も、心持潤わせているかのようで、「ベッカムさま」とばかり、すっかり女っぽくなってきた。

昨年レアル・マドリードにベッカムが来て、サッカーファンの間の話題はあんなにスターばかり集めて、一体チームとして機能するのだろうかと言うことだったが、破格の契約金での鳴り物入りの入団で、先輩選手の「新兵いびり」が予想されていたものだったが、彼は、賢く控えめに振る舞って、並み居るスーパースター達の親愛も獲得したようだ。最近の噂ではロナルドが、チェルシーに移籍の希望があるそうで、しかも「ベッカムと一緒に行きたい」とまで漏らしているそうな。

当初、先輩チームメート達はそろって彼についてのコメントを控えていたが、大人しいジダンが「スペイン語もフランス語も話さないから、どんな奴か分からない」と苦笑いしながら、話していたのが印象的だった。

ベッカムの偉大さは、それまでサッカーには全く関心などなく、ロナルドもジダンもフィーゴの名前さえも知らなかった人々の噂にまで、彼の名前が出てきたことだろう。また、スポーツ番組以外でも、彼関連のテレビ番組が多くなって、その傾向にますます油を注いだ感じだ。

cibeles.jpgまず彼がどこに住むだろうと言うことが、関心を引いたが、十数キロ北郊外のフロリダ地区の建付け面積1千、敷地数千平米と言う豪邸が噂された。ここは、マドリードの高級住宅地のなかでも特に豪邸が多いお屋敷街で、東京で言ったら、田園調布と言ったところだろう。元国立舞踊団総監督のアントニオの家もここにある。
レアル・マドリードの出来立ての新練習場にも近いことから、ここが有力とされていた。

また、ビクトリア・アダムスとの買い物も期待され、シャネル、ビュトンという有名ブランドの並ぶセラーノ通り周辺の高級店協会や独占デパートであるコルテ・イングレスまで歓迎表明を出した。

テレビ番組で、面白かったのは、彼のそっくりさんだろう。
どこから見つけたのか本当によく似ていたが、白いジャケットにサングラスをかけ、ちゃんとボデイーガードまでつけて街角を歩き、それをテレビで撮っていた。一種の「ドッキリカメラ」だが、彼の場合は、カメラを隠さない方が、余計本物らしく見えたのが面白い。大勢の人が集まって、実際サインまでして、貰った人が、興奮しながら喜びのインタービュしていたのは傑作だった。

最近の話題は、美人元秘書との不倫騒動だろう。
お昼過ぎは、どこの局も芸能番組をやっているが、どのチャネルに替えても同じように、この話題が取り上げられていた。
これには、テレビ好き、サッカー好きのアリス嬢もあきれて見向きもしていなかった。

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ?」

May 02, 2004

5月2日はベッカムの誕生日?(河野兵部)

doosmayo.jpg
mayor3.jpg「5月2日は何の日?」と聞いたら、大部分の若者は「レアル・マドリードのベッカムの誕生日」と答えるかもしれない。昨年移籍してきたばかりとは思えないほどの活躍振りと、大物スターにしては、控えめに先輩選手を立て、チームプレーに徹する彼の如才なさ、また、甘いスマイルで女性ファンの心を捉えている彼の魅力を考えると当然かもしれない。今は、元美人秘書との不倫話題でにぎやかなようですし(笑)でも、この日は、マドリードの独立記念日であり、休日でもあるなのだ。

余りに次元の違うイントロにあきれる人もいるだろが、このブログをはじめるにあたって、若干歴史的状況も知って欲しいし、暦的にも独立記念日からはじめなければならないのだが、こんな地味なテーマでスタートでは、最初から、すっ飛ばされるに違いないので、取りあえずは、彼の後光を借りてみた。
ここまで読んでくれたということは、作戦が当たったことになる(笑)


でも、「騙された」と怒こらないで欲しい。ベッカムに付いては、書きたいことが沢山有るし、別の機会に書くつもりだから。大体、去年から、マドリードのマの字もしらない人達が、突然ベッカムだけを目当てに大挙して押しかけてきて、それでも、去るときは、大部分の人達がマドリードの魅力に魅されて、また来ることを約束して、去っていく。だから、ここでも、ベッカムだけで帰って欲しくない。少し堅いが我慢して欲しい。

sol.jpgマドリードの独立などと聞くと、「東京が独立する」ようなものだから、一体どこから独立したのか訝る人も多いに違いない。スペインの各州は、単なる人口の頭割りの行政区分と言うよりも民族、言語、習慣の差が強いので、自治体の対立は民族闘争に成りかねない。それが特に激しいのが、バスク州やカタルーニャ州であり、マドリードは、東京のように行政の首都となっている大都市で雑多の人種の集まりなので、マドリード人と言う意識は薄い。大阪人が、”関西弁”で個性的に感じるのに対して、東京弁は”標準語”扱いで、面白みに書けるのと、どこか似ている。

arco2.jpgだから、サッカーのレアル・マドリードとバルセローナの対戦となると東京と大阪との大都市チーム同士の対戦というよりも、日本国代表と大阪国代表の戦いという民族的対立意識が剥き出しに成る。

東京だったら、中心地は地価が高いから、下町にはよそ者は住みにくいが、マドリードの中心地は、石の建物のため何百年も経った崩れかけた建物が密集しているので、反って低所得者である外国人移民が集まり、ゲットー化してきていて、ますます、国籍不明の町に成ってきている。

それでは、前述の「マドリードは、どこからの独立か」と言うと、19世紀初めのナポレオンの支配からの独立なのである。ゴヤの作品に1808年5月2日と5月3日と言う連作があるが、あの民衆が太陽の門広場前で、フランス軍対して決起したのが5月2日で、これを他州のように明確な創立日が無かったために無理にこじつけて(?)独立記念日に制定したものだ。

mayor2.jpg当時ゴヤのような先進的な思想を持っていた知識層は、侵略前まではナポレオンを救世主的に歓迎したのだが、いざ、占領すると、それまでの支配者の座を取り替えただけなのを見て、失望し、「それなら帰れ」と、抗戦をはじめ追い出したことから、マドリードにとっては独立戦争と位置付けている。何か今のイラクの状態に似ている。

と、言うことでの記念すべき独立記念日だが、大部分の市民にとっては、前日のメーデーと2連休になるので、単なる行楽日の意識しかないだろう。この連休前後は、好天気が伴うと山の別荘が多い国道6号線や”マドリードの海水浴場”のバレンシア方面へ出る国道3号線は、車の行列でぎっしりと成る。

いつの日か「ベッカムの日」として広場の中央に彼の銅像が立って、大勢のファンが花束を捧げに訪れようになるかもしれない。



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