Spainfan

投稿欄

カルロス五世
 (Carlos V)     矢島信夫

(11月28日)

10月に入ってから子供の日本語教室が2クラス、大人の日本文化講座が2クラスあって週に
2回づつあるので毎日がとても忙しい。

ちなみにこの日は6時半から7時半まで子供の日本語教室、7時半から8時までの日本文化講
座では聖徳太子とその時代をテーマに「冠位12階制」と「17条憲法」、また8時半から9
時までを「2.26事件」と「財閥の発生」について準備している。

一方、日本からカルロス五世のたどった道を訪ねて25人の人たちが夕方からサラマンカに来
られて7時からパラドールでサラマンカ大学のエウヘニオ・ガルシア・サルサ先生にカルロス
五世の話をしてもらい夕食を共にするというアレンジになっている。

この日西センターには所長のロペス先生とその秘書のエレーナと僕しかいない。加えて大人の
日本語を担当している法子先生、智絵先生がいるが彼女達もそれぞれが毎日目一杯のスケジュ
ールで動いている。

(画像をクリックで拡大します)


この間に日西センターを尋ねてくる人たちとの応対などもあってなかなかに忙しいのだ。

午前中はそれでも割合余裕があって講義の原稿の翻訳などしているのだが午後は全く時間に追
われて走り回っている。
朝飯を食べながら三智子と今日のスケジュールはどういう具合になる
のかしら、などと他人事のように言えば三智子は大いに心配して、ああしたら、こうしたら、
といってくれるのだがまあ、僕のことは全てうまく運ぶようになっている
からあまり心配はしていない。いざとなれば何とかしてしまうスペイン流がいまや得意技にな
ってしまっているのだ。

結局、授業は不可能となりビデオをみせてごまかすことにした。

最近サロン・デ・アクトスに大きなスクリーンが備え付けられてビデオもこの大スクリーンで
見ることができる。
夕方になって電話連絡が入りパラドールに7時の約束を8時に延ばしてくれ
との話であった。そうだろう。そのほうが都合がいい。とにかく都合のいいように展開していく
のだ。
それなら子供の授業は何もビデオじゃなくてもよかったのだが皆ビデオだというと大変に
よろこんでいたのでそのままビデオを見せることにした。テーマは日本の「子供の行事」と「健
一」という男の子の日常生活を紹介したものだ。途中、畳だの風呂だの説明しながら進めていく
のだが子供達はなんやかやと私語が多い。そのうち可愛いらしいクララちゃんが「のぶおちゃん、
あんたの奥さんの名前はなんてーの?」などと聞いてくる。この間の授業の時に日本では子供に
愛称で「ちゃん」を名前の後につけるんだと教えてやったばかりなのだ。

10歳のクララちゃんに63歳のおじさんをつかまえて「のぶおちゃん」などと呼びかけられると
妙な気分だ。「三智子っていうんだ」というと「それどういう意味?」で「三つの智恵という意味
だよ」というと「ふーん、きっと頭良いんだ」でちっとも画面をみてない。

全く先生なんてものじゃなくて遊び相手だ。でも今、8人いる新規組の連中はとても可愛くて今の
ところ熱心に日本語を覚えようという意欲がある。

大人の授業は日本の地理の紹介と生活、食べ物、住居の紹介ビデオをみせることにして智絵先生に
頼んでパラドールに行くことにする。


パラドールは川向こうの小高い丘の上にあって時間があれば散歩も楽しめれるのだが急ぐのでタク
シーで行くことにする。

サルサ先生とは現地集合ということにしている。ロビーで待っているとまもなくサルサ先生が奥様
同伴で来られ、OHPの資料を持ってきたのでそれで説明したいという。

急いでホテル側にOHPと会議室の借用を依頼し準備をする。結構立派な会議室が用意された。百人
くらいは入れそうな部屋で窓からはカテドラルの夜景が見える。

「カルロス五世の旅」という本を書かれた上野健太郎先生ほか25人とJTBの付き添いの人がそれ
ぞれ席についてサルサ先生の講義を聞くことになった。

さて、聞いてみると皆さんスペイン語は分からないという。もちろんサルサ先生は日本語がわからない。
はて、しょうがない。飛び入り通訳をかって出る事にした。僕が学生時代に如何に勉強したかを知って
いるものはとても信じられないだろうが、そういう僕がカルロス五世についての講義の通訳をやるのだ。
でもサルサ先生はかなりゆっくりと話してくれた。

なんだってやってやる。そういう気構えでやっていると何ということはない自分自身が一番勉強してる
ことになるのだ。
三智子はかなりスペインの歴史についての本を読んで色々知っているようだが僕はど
うも日本の歴史の勉強に忙しくてとてもスペインの歴史まで十分勉強している暇がない。

 

カルロス五世という神聖ローマ帝国の皇帝であると同時にスペインの国王(カルロス一世)でもあった人
について、もう多くの人が知っているであろうことが僕にはとても新鮮であった。

かの有名なフェルナンド・イサベル・カトリック両王の子供で後に気が狂ってしまうフアナ王女がハンサ
ム・フェリペと結婚して生まれたのがカルロス五世でベルギーのゲントで生まれた。今年の4月にセマナ・
サンタの休みを利用してベルギーに旅行に行ったときに立ち寄った所だ。
そうか、あそこかあ、てなことで
急に身近に感じられる。

今回のツアーの人たちもゲントを起点にカルロスの道をたどって旅行されているようだ。

母方である狂女フアナの両親であるカトリック両王による政略結婚の繰り返しが行われた結果このカルロス
五世がオーストリア、ブルゴーニュ、アラゴン、ナバッラ、ナポリ、ミラノ、シチリア、サルディニア、カ
スティージャ、および新大陸などの広大な領土を受け継ぐことになった。

1516年に祖父のフェルナンド二世がなくなるとブラッセルでカルロス一世としてスペイン王を宣言する
のだがまだ狂ってい
るとはいえ正式には母のフアナがスペイン王であり彼女が1555年に死去して始めて正式のスペイン王に
なった。
しかしながらもともとスペイン語も、スペイン文化も知らずベルギーで育ったカルロス一世は国民
の反発を招く。その急先鋒だったのがトレド、セゴビアそしてサラマンカであった。その彼がサラマンカ大
学を保護し、後援し当時法学ではヨーロッパの中心でありフランシスコ・ヴィットリア教授に教えを受けた
こともあったという。

 

Carlos V


その後、領土拡大に野心を燃やしフランスを取り囲むように今で言うドイツ、オーストリア、イタリア、ト
ルコ、などを支配下に治め40年間の治世のうち22年間、5つの戦争をフランスと戦った。かっていずれ
の国の王様も達成できなかったくらいの広大な領土を支配下に治めたカルロス五世にも思い通りに行かなか
ったことが二つあった。その一つは、フランスを支配下に治めることが出来なかったこと。
またもう一つは
ルターの宗教改革派を撲滅することが出来なかったこと。

カルロス五世はカトリックの守護者でもあったのだ。

この二つの思い通りに行かなかったことがカルロス五世の人間的良心に何かがおこり野望をあっさり捨てて
スペインの南部の片田舎であるユステというところの僧院に引きこもってしまったという。

これだけ広大な領土を支配していながら何ゆえにエストレマドゥーラ地方の片田舎の僧院に引きこもることを
選んだのか、聞くところによると最もヨーロッパの喧騒から遠く、冬はそれほど寒くはなくまた、夏もそんな
に暑くはないところだという。

一度ユステというところに行かずばなるまい。ユステはサラマンカより南へ車で2時間くらいの距離だ。

 

講演が終わって夕食となりサルサ先生、上野先生と同席させていただき色々歴史の面白い話を伺った。 全く
何も知らずに無知であったということは如何に楽しいものであることか。何でも勉強になる。

ソクラテスいわく「hoc unum nihil scire」、(Sólo sé que no sé nada

(I only know that I don't know anything.)(何にも知らねえってことだけを知っている)

というのは今の僕のことかなあ。

 

(画像クリックで拡大)

楽しい夕食が終わって次の日、午前中サルサ先生は授業があるので市内観光の案内ができないということで僕
がするということにしてお開きとする。サルサ先生を送り出し、皆さんが部屋に帰るのを見届けてから家路に
帰る。玄関を出るとかなり強い風が吹いてあたりの木々の枝を揺さぶっている。雨が降りそうな気配だが星が
出ているのでまあ、タクシーを呼ぶほどのこともあるまい、と歩き始めた。ワインの酔いが残っていて冷たい
夜風が心地よい。
それにしても嵐のように吹き荒れる夜風は何か別の世界を歩いているような心地がする。

そのうちに雨が降ってきて隠れ場所もないまま木々を揺さぶるおどろおどろしい風の音に思わず駆け出してし
まう。トルメス河の橋を渡ったあたりでは大きなポプラの枯葉が風に舞い散るのを踏みつけながら、葉隠れ精
神っていうのはこういう時に腹を据えてどうせ濡れるなら走っても同じだと濡れるに任せて開き直っているこ
とだと独り言を言いながら、全く人通りのない道を少し楽しげな気
持ちで歩いて家に帰った。       

表紙