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グアダルーペの黒いマリア様
(Guadalupe)


マドリードから国道5号線を西南に下って、タラベラ焼きの陶器でしられるタラベラ・デ・ラ・レイナの町で 高速道を降り
た後タホ川を塞き止めたアスタンダムを通り抜け山道を走ってサン・ビセンテ峠を越えた
山奥にグアダルーペの修道
院が有ります.


ここには黒いマリア様が奉られ国土回復戦争が決定的にキリスト教徒に有利になった13世紀頃から 巡礼者が絶え間
なく訪れて,新大陸発見のスペイン化政策のシンボルとされた為に、スペインは勿論、アメリカ大陸、フィィッピンなどで
信仰されております。


グアダルーペのマリア

マリア像

このマリア様はモミの木で作られた高さ約60cm重さ4kgの木像で、12世紀頃ロマネスク期の作品と推定されていて、
モンセラーのマリアと同じように顔が黒いのが特色です。


*この肌の色に関しては,彼女を称えた讃美歌集にも
"私はカダールやソロモン王の天幕のように褐色でも美しい肌を持つエルサレムの乙女よ。 私のくすんだ顔の色を見ないで、、
太陽の光がこの
ように日焼けさせたのだから、、”
と歌っていますが,これは現在の日本のガンクロ女性の元祖?

この時代の例に漏れず膝の上には幼児としてのキリストが祝福しているスタイルで座っていて、その
右手は15世紀頃
に銀製に付け替えられています。

マリアは4つの大きな花で飾られたオリーブ色の服を着ていて、マリアの3つの処女性、つまり、 出産前、出産、出産後を
表し、下の花は天上の力を象徴しているのだそうです.

伝説

このマリア様の由来は幾つかの古文書(Codices)に描写されていますが、キリストの死後、あの 福音書を書いた
ルカ(Lucas)は小アジアのアカヤと言う町に葬られるますが、その時に一緒に埋葬
されたマリヤ像がこの元とされ
ています.4世紀になってから東ローマ帝国のコンスタンテイノープルに
ルカの遺体と一緒に移され、時の法王グレ
ゴリオ・マグノ(Gregorio Magno)は丁度ペストが大流行
していた町に運び出すとSan Angeloと呼ばれる天使が
現れ持っていた刀の血のりを拭うと同時に
ぴったりとペストは消滅したそうです.

その後丁度ローマに来ていた聖イシドロを通じてセビリアの大司教聖レアンドロに友好の印として プレゼントされて
セヴィリアに移ります.その旅の途中の海上でしけで難破寸前の船を救うとかの
奇跡が起こり、このことから後の
大航海時代の船乗りの守護神(patrona)として崇められるように
成ります。
711年にはご存知のようにイスラム教徒がギブラルタルを渡って侵入したために、僧侶達はこの マリア像を担いで
北に逃亡してグアダルーペ川縁の近くに隠しそのまま忘れ去られてしまったそうです.


牛の奇跡(16世紀聖歌集より)


牛の奇跡

時代は下って13世紀に成ってから、カセレスのヒル・コルデロと言う牧童(vaquero)が牛が1匹足りないに 気が付き、
探し回っている内に一筋のローマ時代の道脇に全く無傷で死んでいるのを見つけ、
何とか毛皮だけでも活用したいと
胸にナイフで十字の切り傷を入れたところ、むっくりと起き上がり生き
返ったそうです。 

あっけに取られていた牧童の前にマリアが現れ、”恐れることは無い。われは人類の救世主の 母である。 村に帰
ったら、村の者達にこのことを知らせて戻り、牛の倒れていた場所を掘るが良い。
そこからわが木像が現れるであろ
う。しかしそこから動かしてはならぬ。その場所に安置する為の
小屋を立てなさい。いずれは最も有名で偉大な教会
になることでありましょう。”と言うと消えて
仕舞い、牧童は夢現のまま村に帰り、皆に出来事を話しますが、僧侶を含
め誰も笑って相手に
しませんでした.

家に帰ってみると、丁度息子が落馬して死んだ所で妻が大声で泣き叫んで居りました。 彼は悲嘆にくれ、マリア様に
自分の罪を懺悔した途端に死んだはずの息子が先ほどの牛のように
起き上がり、にっこり笑って”おとうさん、マリア
様が私を黄泉の国から返してくれました”と言い出すではありませんか。


この奇跡を聞いた村人達は彼の話を信ずるようになり、その場所に行き掘り出してみると 果たしてこのマリア像が現
れ小屋を建て奉りました.この辺鄙な山奥の粗末な小屋も、予言どおり
カトリック両王を始めとする多くの巡礼者が
世界中から訪れるようになりました.

西洋の”ここ掘れワンワン”いや、”ガンクロ・モウ娘”の物語です.(^^) 

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