Spainfan

サン・フアン・デ・ラ・ペニャ(san Juan de la penya)

ピレネー越えした巡礼達の最初の宿場町であるJacaから西に巡礼路を14km行った所を左に折れ、更に
5kmほど行くとPenya山脈が立ちふさがり、10世紀に作られた尼寺のサンタ・クルス・デ・ラ・セロス(Santa Cruz de la Seros)
の脇から標高1140mの山腹まで昇った所の岸壁をくり貫いたような洞窟に有るのがサン・フアン・デ・ラ・ペニャ修道院です。
この修道院の由来には色々の伝説が有るようですが、最もよく知られているのは”パノの要塞(La Fortaleza
de Pano)”の物語でしょう。




711年にイスラム教徒が侵入した後キリスト教徒の残兵はJacaから遠くないOroel山麓(Penya de Oroel)
のパノ(Pano)と言う町に要塞を造り抵抗を続けますが、Cordobaの大モスク(Mezquita)の創立者である
アブデラーマン(Abd al−Rahman)の軍勢に依ってほぼ全滅にされてしまいます。
奇跡の話はこれから始まります。この攻撃から生き延びたサラゴサ出身のvoto とFelixの兄弟はペニャ山脈の
山奥に逃げ込み信仰をまもっておりました。ある日Votoが狩りをしていた所、目の前に1匹の大きな鹿が現われ、彼の方を
見つめると何か誘うような素振りをします。一瞬訝しく思いましたが、この素晴らしい獲物出現に大喜びをして鹿に向かって
疾走した所、藪の向こうは目も眩むような絶壁になっており、気が付いた時は既に遅く、馬ともども転落してしまいます。
Votoは落ちながらも神に祈ったところ、突然体が誰かに支えられフワッと擦り傷1つ無く軟着陸したのだそうです。
夢から覚めたように呆然と辺りを眺めますと1本の獣の道が見つかり、刀でかん木を凪ぎ倒しながら進んでいくと山頂近くの
巨大な岸壁の元に洞窟を利用した小さな祠が有りました。入ってみると1人の老僧の屍が祭壇の脇に横たわっていて
、手に持つ石碑にはには”われヨハネ(Juan)はこの祠を洗礼のヨハネ様(San Juan Bautista)の栄光を称え創立し
、ここに眠る”との記載が有り、感動したVotoは弟のFelixとその遺体を埋葬し、彼ら自身この人里離れた洞窟で隠者生活を
始めパンは天使が毎日運んできたのだそうです。

10世紀にイスラム教徒の支配下から逃避してきた修道士に依ってSanJulianとSan Basilisaを奉った
モサラべ様式(Mozarabeイスラムの支配から逃れたキリスト教徒の創ったアラブ建築)の修道院が
作られ11世紀になるとAragon王SanchoRamirezの保護の下にクルニー派の修道院として発展します。

ヤコブの夢

この修道院は巨大な岸壁の元の窪みを利用して作られ、1階は創立部で馬蹄形アーチに見られるモサラべ様式で作られ上階は
11〜12世紀のロマネスク様式で、アラゴン王の霊廟や12世紀に作られた回廊の柱頭彫刻は目を見張ります。この彫刻は
明らかに2つの時期に分けて彫られ、前期のものはサン・フアン・デ・ペニャの巨匠(Maestrrode S.J.Penya)と呼ばれる石工で、
別記する予定のSanguesaのSanta Maria教会の作者と同じで、又SoriaのSanto Domingo教会やグレゴリァ聖歌で有名なBurgosの
Santo Domingo de Silosの作者と影響がお互いに有った事が感じられます。
テーマは天地創造、キリストとマリアの生涯、洗礼のヨハネの生涯等が描かれており、後期は13世紀のものとされています。

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