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ロマネスク文化(Romanica)

スペインのロマネスク文化は巡礼の道と、またイスラム教徒との争い所謂国土回復戦争(Reconquista)と密接な関係を持ちながら発展
してきました。

中世ヨーロッパの歴史はローマの支配が5世紀にはほぼ終ったあと蛮族に主導権が移りキリスト教の普及とともに発展しますが、特にス
ペインでは711年のイスラム教徒進入によって、西ゴート族の残党であるドン・ペラーヨがコバドンガの戦いで勝利を収めたのを切っ掛けに
キリスト教徒の反撃が始まり1492年イザベ女王のグラナダ陥落によって800年に渡る国土回復戦争を終了させた事により完成します。
この事から16世紀に成ってから歴史文化のクラス分けが行われ、スペイン文化の区分としてはローマ文化(Romano)の次はゴート文化
(Gotico)、その反動のルネッサンス(Renacimiento)と考えられて来たようです。

19世紀に成ってから、フランスの考古学者であるCharles de Gervilleが6世紀から13世紀の間の半円アーチの建築物を"ロマネスク”と言う
名前で提唱した言から始まり、後に更に11世紀から12世紀と限定して定義付けされたのだそうです。

910年にボローニャにベルノン修道士(Bernon)によってクルニー派(Orden Cluny)が創設されると急速にヨーロッパ全土に広がり最盛期は
1500の修道院と5万人もの修道士を配下に抱えその勢力はしばしば王権をも凌ぐように成りますが、宗教面だけでなく、農業、医学、法律、
芸術にも先導的な役割を果たし、この僧侶達がロマネスク文化の担い手となる事に成ります。

11世紀には国土回復戦争も進み北スペインからイスラム教徒が追い払われた後に諸侯はヨーロッパ諸国に呼びかけキリスト教徒の入植を
奨励すると同時に初期ロマネスクの文化がスペインにも入ってきます。

最初はピレネー山麓のアラゴン一帯に定着し、イタリアで生まれたロンバルド式が現地のカタルーニャと融合してロンバルド・カタラン
(Lombardo-Catalan)式として巡礼の道を伝わってガリシアのSan Juan de Vila Novaまで広がりますが、まもなく過度な装飾を嫌うシ
トー派(Orden de Cister)の参入でカタルーニャに止まります。それと平行してナバラ王のサンチョ(Sancho El Mayor)はキリスト教徒
の入植を特に優遇した王様ですが、結果的にスペイン・ロマネスクの推進者として位置付けられる事に成るほどスペイン独特のロマネ
スクがナバラを中心に発展していきます。

それ以前の教会はローマの集会場としてのバシリカ方式が西ゴート教会として伝えられまたイスラム支配地から逃げてきたキリスト
教徒(Mozarabe)がアラブの馬蹄形アーチを主体としたモサラべ方式によって作られてスペイン独自のプレ・ロマネスクを形付けて
いましたが、この時期に成るとフロミスタのサン・マルテイン教会のようにキリスト教徒に改宗したイスラム教徒(Modisco)達が煉瓦
を使って全くのアラブ風の建物まで造るように成ってきます。

ロマネスク文化の醍醐味は色鮮やかな素朴な線で描かれた壁画と正門のタンパンやアーキボルト、また回廊の柱頭等に刻まれた
素朴な彫刻に有ります。無数に有るこれらの作品を紹介すると膨大なページに成って仕舞いますので、巡礼路に有るほんの一例だ
けご紹介していきたいと思います。

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