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   サイゴンで乾杯
          
       下館市民病院 石 橋 秀 與

 ベトナムに関東と水戸があるのをご存知だろうか、水戸はMYTHOと書いて地元民はミィトウと発音する、
サイゴンから70Kmバスで1時間、メコンの支流パォ・テン川はメコンデルタの入り口でタン・ロン島などの
島々があり、そこで生活する人々の暮らしやパパイヤ、マンゴの果樹園やココナッツ工場見学などサイゴンから日帰りで楽しむことができる観光地となっている。一方のカン・トウはメコンデルタの中心で大学もある大都市である。かねてからメコン河には思い入れがつよくミャンマー、タイ、ラオスのメコンは幾度となく観てきたが南シナ海に注ぐベトナムのメコンはまだ知らない。
 
 サイゴンの旅行代理店が一風変わっている、他の東南アジア諸国ならばサン・ツアーズあるいはスカイ・
ツーリズムなどの看板が目に付くはずである、ところがおもしろいことにサイゴンはキム・カフェ、シン・カフェなど喫茶店の中に旅行代理店がある。シンカフェを訪ねてみると(メコン、カントー一泊ツアー)の参加者簿に日本人3名が登録されていた。英語の不得意な私は百万の味方を得たような気分になり旅行代金18米ドルを支払った。ところが当日バスに乗り込んできたのはすべて欧米人、一瞬顔面蒼白、今さらキャンセルするわけにはいかないし、心配はつきないけれどこうなったら成り行きにまかせるしかない。結果的には英語はわからなくても結構楽しい旅が出来た、それにバスで隣の席に座ったバルセロナから来たという女性二人がとても親切だった。たとえば食事の時には必ず僕を誘ってくれたし、ガイドの説明をもう一度「かみくだいて」メモしてくれたり至れり尽くせり。
 
 メコンは水のかわりにカフェオレが流れていると言った人がいたが私はコーヒーみたいだと思った。
それほどドス黒く濁っている、その川で行水したり、食器を洗ったり、ウンコをしたりO?157も赤痢もコレラもへったくれもあったもんじゃない。そこには食中毒なんて存在しない、なんてたくましい民族なんだ。
とにかく、河川と共に生きるということをこれほど強烈に見せつけられたことはかつてなかった。
最もプーケットのパンガー湾に浮かぶ水上集落の小学校には海の上に板で組み合わせたサッカー場があってビックリしたけど、それとは趣が違う。

原則として食事は自由行動、カン・トーでの夕食はバルセロナ嬢とホーチミン像のある公園の近くにあるレストランでシーフードを食べた。席上橋本内閣崩壊後の組閣人事にいて質問があり当方シドロモドロ・・・なんてインテリジェンスの高い人たちなんだ。彼女たちにビールを勧めたけど宿に戻って手紙を書くと言って立ち上がった。一人牢獄みたいな安宿に帰っても仕方がないので夕闇のカントーをさまよい歩いた。

街角の屋台で4、5人の若者が酒盛りの真っ最中、どうゆうわけか、なんの違和感も無くすんなり仲間に入ってしまった、アルコル分のうすいサイゴンビールに氷を割って呑んでいたが腹ばっかり膨れてサッパリ酔いがこない、持参したウイスキーでオンザロックスを造って呑んだ、当然日越友好ベトナムの酒乱諸君にもふるまった。暗闇の中、屋台の姉さんが、つまみの「ゆで卵」を差し出したので殻をむいたらびっくり仰天、ナ、ナント孵化寸前のヒヨコではないか。黄色いくちばしに、コックリとうなだれた首、これを食するには相当勇気がいる、ベトナムではホビロンと呼んで人気の一品だそうである。

翌朝、ホテルの前にフランスパンの屋台が出ている。具はスライスしたトマトに目玉焼きを挟んだだけのいたってシンプルなものだがこれがバカ旨。しかしなんといってもフォーが絶品である、牛骨や鶏ガラから丹念に出汁をとり、野菜がたっぷり入った汁麺で宿酔の朝やちょっと小腹が空いたときなどもってこいである。
またベトナム中部の王朝が栄えた古都フエには宮廷料理が今なお伝わっ機会に恵まれたが鳳凰をかたどった前菜やフルーツを器にした盛りつけは見事なものだった。宴もたけなわになって同席していたベトナムの宴会幹事みたいな人からサイゴン・プリンスホテルのクラブへ誘われた。不思議だったのはサイゴンからホー・チ・ミン市に呼称が変わったのに、ベトナムの人たちはいまだにサイゴンと呼んでいる。

 そして我々はその喧噪のサイゴンに戻った、夜だというのに人々はバイクで一晩中走り回っている、
この国の一般家庭には冷房設備が普及していないので涼を求めて走るのだという説だが定かでない。ちなみにベトナムではバイクをホンダと呼んでいる、スズキのバイクはスズキのホンダということになる。

翌日かのバルセロナ嬢二人を戦争証跡博物館に誘った。戦時下で起こった米軍の残虐行為、ソン・ミ大虐殺に関するもの、実際に戦争で使われた戦車やヘリコプターなどが展示されてある。枯れ葉剤の影響で生まれた奇形児のホルマリン漬けのコーナーで女性二人は固まってしまった。相当ショックを受けたようだ。そこで次はマジェステックホテルに誘った、屋上のカフェからの眺望はサイゴンで一番と評判だ。またベトナム戦争の時、開高健など多くのジャーナリストがここから戦況を伝えたことで有名である、サイゴン川の流れを見ていたら少しは心が和むような気がした、情熱の国のスペイン娘と、ジパングのうらぶれた中年オヤジ、妙な取り合わせだがたった三日の旅行で親戚みたいになってしまった。そして私たちは乾杯した。メコンデルタから無事帰還に感謝して。ベトナムの開放政策ドイモイ(刷新)にエールをおくり、乾杯した。この国を語るときに「戦争」は避けてとおれない。当時の南ベトナム民族解放戦線地下基地ク・チのトンネル、ヴィン・ロ
ンの戦争博物館、ディエン・ビエン・フーの激戦の丘、どれをとっても胸にグサリと突き刺さる、かつてこんなに刺激的でせつない旅はなかった。      
        

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