サンチアゴへの道

人間の歴史においては、それが事実であるかどうかは問題でない事が良くありますがサンチアゴの道はその最たるものでしょう。

聖ヤコブはキリストの12使徒の1人で、キリストの死後(復活後?)使徒達はそれぞれ担当を決めて手分けをしてキリスト教の布教に歩きます。
彼の担当はスペインとなり、当時”地の果て”(Finis Terrae:Finitre)と呼ばれたイベリア半島の北西端の現在のGalicia地方に船で上陸し、ここ
を基点に6年間程スペイン中を布教に廻り、その間にZaragozaのPilarのマリアのような奇跡を起こしますが、余り説教が上手くなかったらしく殆
どお弟子さんも出来なかったようで失意の内にイスラエルに戻ります。

当時はヘロデス王のキリスト教徒への迫害が凄まじい時でしたので、すぐに捕らえられ斬首刑に処せられてしまいます。彼は使徒の中では最初
に殉教する事になって仕舞います。屍は野獣の餌にされ野ざらしにされますが、夜に成って彼の2人の弟子がこっそりその屍を浜辺に運び出した
所、沖から一艘の船頭も居ない船が近づき「乗れ」と言わんばかりに彼らの前に停まったのだそうです。

「これは神が遣わした船に違いない」と天を仰ぎその奇跡に感謝の祈りを上げた後、師匠の遺体と共に乗り込むと突然ゼットコースターみたいに動
き出し、地中海を通りジブラルタル海峡を通り抜け、更に大西洋を北進してヤコブが来た時と同じ Ulla河を 上って現在Padronと呼ばれる川岸にた
った一晩の内にたどり着いたのだそうです。2人ともかなり船酔いしたのでは(^^)

Finitreの十字架

ここの川岸の小さな教区教会の祭壇には現在もその時にその船を繋いだ石が奉って有ります。Padronと言えばスペイン人はまず小粒な獅子唐を
思い浮かべるでしょう。この辺りがその主産地で、どうかするととんでもなく辛いのが有りますがとても美味です。またPadronと言う名前はヤコブの
屍を運んだ小船をつないだ岩(ペニョン)が訛って町の名前として残っているのだそうです。(パドロン参照

2人の弟子は師匠の屍を川岸から少し離れた現在のイビア・フラビアと呼ばれる所まで運んでそこに有った大きな大理石の岩の上に置いた所、突然、
その岩がヤコブの体の形に溶けそのまま石棺に成って仕舞ったのだそうです。

そのお墓もそのまま忘れさられて仕舞いますが、800年後にまた奇跡が起こります。9世紀に成ってから、2人の牧童があの東方の3賢人が見たと同
じ矢印(?)の形をした星が執拗に呼んでるかのように瞬いているのを見てそれに連れられ森に入っていくと星の光を反射して輝くこの石棺を発見しま
すが、無学の2人には勿論刻まれた文字が分からず当時の司教Teodomiroに伝えられ、これで聖ヤコブの墓である事が知られて、一千年を超える
巡礼の旅が始まる事に成ります。

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