Spainfan


   積み重ねの賜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クガモンギー

 2歳になった娘とやっと会話が成立するよになった.人の顔をピシピシ叩きながら
「あがぁー」「うあぁー」「うぎゃー」と旦那と私の会話に参加したがっていた頃は,何を
云っているか全然分からなかった.まだ「腹へったぁー」という泣き声の方がはるかに
理解できていたと思う.
これも本人の無意識なる日々の努力によってなしえた成果なのだろう.しかし近い将来,
堰を切ったように喋りだすのかと思うと,それはそれで気が重い.何故なら私が自他
供に認めるお喋りだからで,私と同じように喋られてはうるさくてたまらないからである.
 
言葉には臨界期というものがあって,一つの言語をネイティブ並みに喋るためには12歳
位までに一応の習得ができている必要があるという.となると25歳を過ぎてスペイン語を
学ぼうとした私の努力は無意味だったのか.確かに発音はいつまでたっても日本語なまり
のスペイン語であろうが語学の習得は赤ん坊のなん語同様,日々の努力に勝るものはな
いのである.ただ,無意識に...とはいかない.

スペインで語学を学んでいたとき,『生きた言葉を学ぶ』をモットーに夜な夜な飲みに繰り
出していた私だが一度だけ不覚にも腰を抜かして救急車のお世話になったことがある.
当時私は,自分はお酒に強いと自負していた.実際,酔いつぶれたことなどなかったの
だが,その時は思いっきりちゃんぽんをした後でもう一人のザルとテキーラの飲み比べで
ボトル1本を空けてしまった.そして爆発したのである.
頭が...いやいや言葉がである.
 
それまでいつもヨーロッパ人の生徒と比較され頭では分かっていても喋ることのできない
もどかしさに元来お喋りな私はイライラしていた.どうしても日本語をスペイン語に置き換
える作業をしないと話せなかった.ところが私は救急車の中でそして家に戻って眠りにつ
くまで永遠とスペイン語で住所と名前.そしてヨーロッパ人の生徒と先生達に対する不満を
ぶちまけていた.酔っぱらいの戯れ言と云ってしまえばそれまでだが,その時の私は変換
作業をしていなかったはずである.言い訳ではなくあのテキーラ事件がスペイン語で考え
話す訓練のきっかけであったと私は今も信じている.
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 その後,私はホームステイをやめてスペイン人の友達とアパートを共有することにした.
彼等はいつも私をからかってわざと云いにくい単語を喋らせる.そしてレロレロとなる私を
見て笑うのである.私が馬鹿にされてばかりいるものかと辞書を片手に必死で覚えた台詞
を云と,友人達は大抵,キョトンとしている.初めは「やったぁー」と思うのだが数秒後,意味
が通じていないことが分かるのである.辞書の言い回しがおかしかったり,私がいい間違え
たりでかっこいことしきりであった.かっこつけようとした台詞はなかなか自分のものになら
なかった.皮肉なことに彼等からからかわれた言葉は赤ん坊が言葉を覚えるが如くスペイン
語のままインプットされていった.バケーロス(ジーパン)と云いたかったのに「このボケロー
ネス(カタクチ鰯)似合う?」と云ってしまいその場で道化と化したこともあったが,それらの
積み重ねが言葉を身につけさせてくれた.
 
或日,スペイン語の担当教師が車の中で「貴方は喋るときスペイン語で考えているの?」と
聞いてきた.「なんで?」と聞き返すと「答えが早いから.」と云われた.「簡単な日常会話ならね.
難しい話しは文章を日本語で考えちゃうけど.」と,謙虚に(事実だけど)答えた.
そして窓を見ながらほくそえんだのである.

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